ユーザー紹介
ユーザー紹介

使いがっては人さまざま

 機械文明が子供にも意識され始めたのは、たしか鉄腕アトム時代あたりからではなかったかと思う。トーキングエイドを知り始めたのも、その頃からだったと思う。車イスの言語障害の強い友人がさっそく購入して使っていた。当時はべラボーに重くて、あんなの肩に担いで歩く脚力はないし、第一親がかりの身にはベラボーな値段で手がでなかった。それに、なんとか言葉は通じたし、いっぱしの議論の真似事ぐらいはできたし、で過ごしてきていた。そろそろ歳取ってくると介助の器具がほしくなる。3・4年前、国際福祉機器展で見かけ「オャ お久しぶり」となった。聞けば給付対象になるという。以後、私の愛用品である。一度修理にだし、すこしガタがきていることだし、と新機種に目はいっている。

 しかし、これ以上機能が搭載されることは私には一抹の危惧がある。これは.対面でのあくまでもコミュニケーションの道具でありたい。親子がパソコンで別々の部屋で会話を交わしあい、それで衝突なしの家庭円満が保たれているという。時には1拍置いた冷静な雰囲気も必要とおもう。だが、会話とは肌で直に感じ言葉のキャッチボールを楽しんだり、相手の意見とのバトルゲームのすばやさも感じたい。オタク族に近い人間達には会話の妙味はない。そんなの真に勿体無い話である。人が他の生物と異なるのは、五官の内の幾つかの部位の発達をみたことからはじまった。その顕著な部位は手と口の働きを活発にしてくれた。文字を操ること・言葉を発すること、残念ながらその部分が欠損するか傷つけられて生存している者から見れば、余計なことかも知れないが、なんで一度しかない人生を無為に生きているんだろう・・、と嘆きたくなってくるのは私だけではないだろう。

 旧機種のトーキングエイドに巡り会ったとき、誰でもが感じるように、私も表示文字が60文字ソコソコ、句読点を入れればもっと減る、そのうえひら仮名だけでは、せいぜい当たり障りのない挨拶ぐらいと二の足を踏んだ。しかし、しばらく展示場でいじくっている内に、いやマテヨと生来の悪戯心がうずきはじめた。この文字の少なさのデメリットをメリットに変える手立てはないものか?悪戯心に誘われてコレ、コレ、これは楽しまなければ損だとなった。

 古来、日本人には歌心がある。万葉集からはじまって古今・近世と短歌とえんえんと自分の想いを短い語句に込めて相手の脳裏に送り込む伝統の技を得意とする。俳句なんて五・七・五の短さであり、それを受け取る側にもそれをイメージ・アップする能力にすぐれている国民性の持主達ではないか。ここを活かさない手はない。転んでもただでは起きない私は性分らしい。それを実行するには相手にイメージ・アップさせるためのボキャブラリーが豊富でなければならない。ついでに脳の活性化と、抜け目ない欲張りかたはしたものの、私のボキャブラリーは漢語まじりの諺か警句止まりで、後はセイゼイ「サラダ記念日」あたりまでのお粗末。それでも今の処はまぁまぁの出来と、自画自賛の毎日を送らせてもらっている。

 新機種への買い替えについては、私の場合、来年の九月まで待たなければ給付資格が得られないという隘路(あいろ)が出てきた。旧機種のトーキングエイドのメリットにも捨てがたい愛着も残る。ただ、現行の自立支援法等のめまぐるしい変り方で、一度ポッキリで給付は無し、なんてことにならなければよいが。

 私達の望む会話の和が広がり、本当の楽しい輪につながったらベターな世の中にと・・・夢見るのは甘く育った障害者の常であるのかもしれない。

プロフィール

高山さんの写真

高山 久子(たかやま ひさこ)

特定非営利活動法人(NPO)こあら村代表
〜地域の子育てパワーを育てよう!〜
http://home.d08.itscom.net/npokoala/index.html


生粋のC・P(脳性まひ)

(全身性なんて個性がなさすぎます。障害は個性です。コレ居直り)

学歴

小学校だけ、後は乱読三昧。
(今、考えればユックリ・タイムの身にはあんがい当たっていたと思えます。)

趣味

(文芸関係ならなんでも覗く好奇心。
(ハリーポッターの最終版を待ってるところです。)

モットー

一般的な意味でのアウトローの目を忘れない事。
(いわゆる第三者的にものを見る態度。違った面が有ったりして面白いですよ。)

著書

「無足の性(むそくのさが)」
(平成12年1月24日発行 編集・制作 朝日新聞社)
ページのトップへ